今や笑い話になっていますが、過去の私のお話です。(ぶっちゃけます。)
キラキラした自分?いやいや。(否否)自信のある自分?いやいや。(否否)人間そんなタテマエだけではなくて、心の中には深い葛藤や過去には人に見られたくない自分もいるはずですが、今や私はその点無敵です(笑)
今日は大好きなエヴァヲタ話も絡めて、過去の自分と現在の自分、まんまの私をを正直に語りたいと思います
さて、人生のほとんどが後悔と言い張っていたのは数年前までで、実際、家族や身近な友人はそんな私のネガティブ面爆発していた頃の話も良く知っています。
今でこそ、『ママって前はこんなだったよね〜笑 たまに叫ぶし寝込むし 笑』なんて、家族みんなにいじられていますが、そもそもなぜそう思って生きていたのか。それは単純で、なぜか寂しい、自分を認めてもらいたい、ありのままの自分を愛して欲しい、そんな子供みたいな感覚から抜けきれないままのいわゆるアダルトチルドレンだったからに他なりません。
『幸せそうに暮らしているのに?なんで?何が原因なの?』
この事を周りの人に話すと、皆さん誰もが目をまん丸くします。
確かに過去も幸せでしたし、今も幸せですよ‼︎誰かに裏切られたとか、お金に困ったとか、何か特別な出来事があったというわけでもありません。でも、思い返せば幼少期から慢性的にずっと焦燥感というか、喪失感というか、そんな思いを抱えて生きてきました。生きづらかったろうなぁ、私って。自分に慰めの言葉を贈りたいくらい
根本原因はおそらく親です。
うちの両親というより、亡き母ですね。妹がいるのですが、私にだけ厳しくて、(今でこそ長女の法則とわかりますが)褒められたり、手を繋がれたり、抱きしめられた記憶もない気がします。
テストを持ち帰ると、
85点→なんでこんな点数なの?
95点→なんで100点取れないの?
100点→次も満点取りなさいよ!
点数だけでなく、全てが否定から入る。そして大人の体裁からモノを言われる。こうするのが当たり前、こうなってくれるのが理想的、今や虐待に近しお言葉であります
まぁ、妹もデキが良かったので余計にだと思うのですが、いつも比較されて、ジャッジされて、私の良いところには気付いてもらえない。
そんなわけで当然、私は自分のことが嫌いな子に育ちました。中学に上がると過呼吸を起こすようにもなり、たぶん、
『私辛い、私を見て、受け入れて、私を愛してよ…』
そんな母に対する心の叫びというか、言葉にならない両親への気持ちが爆発したからだと思います。思い返してもキッツイなぁよく耐えたな私!
ハイ、ようやくエヴァ話と被ります。
シンジやアスカが父や母に求めていた感情と同じだったわけです。
悶々とした日々はその後社会に出てからもずっと長いこと続いていくことになるわけですが、心が子供のまま大人になったものですから、幼少期からのトラウマとともに、母とはどんどん距離ができて、いつやら私は
【お母さんみたいには絶対にならない】
という反面教師のような感覚を持ったわけです。
だから今、心理テストをする度に毎回超がつく完璧主義者、と出るわけですね
自己コントロールが特にヘタッピです笑
母はもう15年前に他界したのですが、むしろ母が亡くなった後の方が私の自己否定感は逆にひどくなりました。それはもう二度と、お互いに生きて解決できる方法がなくなったからです。
亡くなったからには話し合いでの解決不可能、私の悩みも未解決事案入り、ですので、ずっと家族にさえ、丸裸の自分では母のように軽蔑されてしまうのではないか、みたいな恐怖感が付きまとっていて、例えば間違った叱り方を子供達にしたら、ママなんて大嫌い!と心底思われて一生嫌われてしまうんじゃないかとか、主人と些細な喧嘩をしても、明日には離婚すると言われるんじゃないかとか、完全に暴走妄想モード突入みたいな状況に気持ちが落ちる。超過激マイナス思考ネガティブMAX人間だったんですよね、私。。。
10代の終わりに初めて見たTV版エヴァンゲリオンに心が深く惹きつけられたのはそのせいかと思うんです。
自分以外の人間とも分かり合いたいのに、人との関わりはその分傷つき、落ち込み、逃げたくなる。むしろ私はアスカが言っている
『ママ!私を見て!』
の状況に近かったでしょうし、
シンジの名セリフ、
『逃げちゃダメだ…、逃げちゃダメだ…、逃げちゃダメだ‼︎』
の連続だったように感じます。
だからこそ、独身時代や会社勤めをしていた5年前までの私は、常に一番や結果を求めるようになりました。
肩書き、成績、完璧度、速度、信頼。それを備えればきっと他人にも受け入れてもらえる!認めてもらえる!私が生きる意味がある!そんな風にどこかで自分を騙してきたというか、寂しい気持ちを封印したまま来ちゃったわけです。とんでもない勘違い野郎でした
今はそんな自分が情けなくてたまりません。
物質主義時代全盛だった昭和世代だからこんな感覚も仕方なかったのかもしれませんが、この前の投稿にもちょっと書きましたが人間結局、心一本です‼︎そんなこんなで、エヴァでいう残酷な運命を背負わされ、何年もループしながら脱出できないチルドレン状態な私でありましたが、
ですがっ!!!
ふとした瞬間に長年の封印が解けたんです
何の気なしに思ったこと。なんてことない瞬間にです。
子供達が元気でいてくれて幸せだなぁ、それだけでいいなぁ、家族みんな仲いいし、お仕事の仲間やお客さんもみんないい人ばかり、食べて生きていくのに困らない位の生活もできてるし、ご飯はうまいし、こんな穏やかな気持ちでいられるなら、いつ死んでも後悔ないなぁ、なんて幸せなんだ私、最高かよ、と。
…ん??
幸せじゃね?
チョイ待て、自分。
これが幸せってやつじゃね?
あーっ‼︎…
人生の95%が後悔なんて、思わなくなってるじゃん‼︎
ハイ…。感動でしたね、あの時。
それでですね、エーイヤ!っと封印してた筈の自己否定の過去と、母との記憶をよーく思い出してみたんです。そしたら、母は母なりに私を愛してくれていた!!と、気付いたんですね
びっくりしました。娘が生まれてすぐに亡くなったので、自分が母になったことでやっと理解できたことがたくさんあったんですよ。自分が傷つきたくないから、自分自身の記憶から逃げてただけで、蓋を開けたら、あったかい愛が蘇ってきた。ただ単に、何が出てくるかのびっくり箱みたいに怖がって、本質の核を見ようとしていなかっただけ。しかしながらその時期培った人の気持ちを察する能力、エンパスみたいな第六感みたいなののおかげか、お仕事する上でも皆様のお役に立ちやすいというメリットにも気付けました
色んなことに気づいて、自分に向き合うようにしたら、もうね、わんわん泣けました
まさに人生のリスタートの感覚。
私、生きてて良かった。
私、愛されてる。
みんなにまんまで受け入れてもらえてるじゃん。大切にされてる。今も昔も。
そんなわけで私にとって先日観に行ったシン・エヴァンゲリオンは、私の過去との決着とともに、自分のチルドレン時代の最終幕の卒業儀礼としても、とても重要でした。
大人になるって覚悟がいる。
嫌なことからも逃げられない。
時には誰かを傷つけてしまうこともある。
でも生きる。みんなで生きる。
痛みも喜びもみんなで分かち合う。
私は私のままでいい。
立ち止まることや後悔があってもいい。
その代わり自分に責任を持つ。
これから先もそう。
ダメな自分もみんな受け入れてもらえる。
不完全も愛嬌でみんな個性。
だからありのまんまで行こう。
それが人間として生きる意味であり、母のためだと思い込んでいたけれど、『私の』人生なんだ。長文を最後まで読んでくださった皆さんにも心から感謝致します
︎